自問自答を繰り返した

 エディヴァル最大の宗教団体、ヘリガバーム教団総本山の一室で、教皇は白い石を敷き詰め築き上げられた城壁を見下ろした。  山脈を丸々一つ使って作られた険しい城は、ヘリガバーム教団の力と信仰の厚さを物語っている。山頂には崖の岩を切り出したように城が築かれ、多くの信者が毎日総本山に向けて祈りを捧げ、務めに励んでいる。それはこの城の中に神木があるためだ。  しかし、その神木も枯れ始めて久しい。  大地を埋め尽くすほどあったと言われる神木が二十四本に減り、世界を守る結界は薄くなった。自業自得な生き物達は悪魔によって脅かされる。滅びは間近。世界には退廃の香りが満ちていた。 「教皇様」  一人の使徒がすり足で寄ってくる。黒いマントに刻まれた紋章はエクソシストの物だ。耳打ちされた教皇は、その内容に瞠目した。  最近感情の起伏を忘れていた教皇は深い吐息を吐いた。 「神は、我々を見捨てなかったのだろうか。出陣を取りやめるよう、皆に伝えなさい」  今日にでもオンドロード領へ従軍しようとしていたエクソシスト達は、その直前で目的を失った。見捨てられつつあったオンドロード領へ大量投入され、一気にかたをつけようとしていた矢先の出来事に、感慨深い物を感じる。  磨き抜かれた白い階段を一段ずつ降り、整えられた庭に降り立った教皇は、白い柵で遮られた裏庭に入った。深い生け垣に迷路のような道。進めば進むほど、森のように深くなっていく。人工的に作られた森の最奥に、目的の場所があった。  白く伸び上がる大木。樹齢千年を越える力強い幹に伸び上がる枝だ。触れると冷たく皮は薄い。しかし爪一つ立てたところで、けして痕はつかないことを知っている。  大木は神木と呼ばれていた。天まで届くかのように長いため、どうやっても隠しきれない。枯れ葉を花弁のように落としながら、それでも青々とした葉を見つめると、その深い色に吸い込まれてしまいそうだ。  しかし、昔はもっと活力があった。枝の隅々まで力を伸ばし、日の光を一身に浴びる姿は力強かった。  枝を折ってしまい酷い折檻を受けた事を思い出し、教皇は苦く笑った。 「従軍が、取り止めとなりました」  けして返事を返さない大木に向かって、教皇は続ける。それは長年の習慣で、もう息をするのと同じ事だった。 「オンドロード領のことは前に話しましたね。現れた悪魔が二夜にして撤退したようです。信じられない話ですが、調査をしても悪魔一匹見つからなかった。復興に向かって人をやることになるでしょう。まだ英雄は生きていたようだ。片方は武勇を聞き及んでいることでしょう。王国騎士サリバン・ランスロット。原種の末裔です。もう一人はハルという名前らしいのですが、まだ少女らしいのです」  教皇は「世の中とはわからないものだ」そう言って、続ける。 「少女は紋章の悪魔を避けたそうですよ。モリトという少年と旅をしているのだとか。皆殺しの鉄剣と言う二つ名を持っているそうで、もしかしたら滅んだとされる原種のどれかかもしれませんね。是非、一度あって――何てことだ」  幹を撫でていた教皇は首が折れるほど天を見上げ、見開いた。  落ち葉はいつの間にか止り、茶色く染まりかけていた葉から順に深い緑へ変化した。枯れた枝が力を取り戻し、吹き上がるように芽を出し、白い蕾が膨らむ。限界まで力を蓄えた蕾がはじければ花弁が舞った。  幹が音を立てて生長し、大地が揺れ、教皇は後ずさりながらも目を離せなかった。  命の萌芽とは、このことだ。  背を伸ばし、伸ばし、伸ばし。葉を広げ、まるでここにいると知らせるかのごとく青々と茂った神木は花を芽吹かせる。  ここにいるぞと、叫んでいるかのように。 「あなたは、そうか。私の言ったことがわかっていたのか。ああ。なんてことだ、何てことだ!!」  歓声を上げた姿を誰かが見たのなら、目を疑ったに違いない。教皇ははじけるように笑い両手を広げて回り出した。 「ははは! 呼んでいるのか、あの者達を。わかった、きっとここに連れてきます! 約束いたしましょう!」  任せたぞ、と言うように、花弁が教皇の頬を滑り落ちた。 ★★★ 「ふぉ」  誰かに呼び止められた気がして、モリトは振り返った。勢いが良かったものだから、口に詰め込んだ食べ物を吐き出しそうになり、慌てて押さえ込む。ハルが半眼で睨み、モリトはしょんぼりしながら食べ物を飲み下した。 「どうしたの」  ハルのいいところは、怒りながらも耳を傾けてくれるところだ。全てのものに無感動な視線を向けながらも、その実、豊かな感情をもっている。 「誰かがボクを呼んだよ」 「呼ばれた気がしたんじゃなくて?」 「うん。……知らない人」  モリトは落ち着かない気分で尻の位置をずらした。目の前にこんもりと盛られた食事の山よりも、そちらの事が気になって仕方がなかった。  モリトを呼ぶ声は歓喜に満ちていた。まるで生まれたばかりの子供を見た親のような優しさと暖かさで溢れている。  そしてモリトを招待している。会いに来て欲しいと訴えている。 「ハル、ボク……あっちに行きたい」  伸ばした人差し指の先を見て、布巾を取り上げたハルはその指先を丁寧にぬぐった。頬を染めながらモリトは上目遣いにハルを見上げる。 「いいよ」  瞳がほんのりと笑った気がした。  何が呼んでいるか確かめずに、全ての面倒事を引き受けたハルを留めるように、晩餐の主催主が戸惑った声を上げる。 「ふむ。その様子ですと、オンドロード領を出て行ってしまうのですかな? それは寂しい」  焼いた肉はミディアム、レア、こんがりウェルダンまでそろえてある。野菜や穀物を使った彩り豊かなサラダも、山盛りの果物もある。食後には甘いケーキとお茶も出てくるだろう。食堂の端には急遽呼ばれた演奏家が曲を奏でている。  最も不運な領地は、今やどの領も羨むほどの富を手に入れた。復興をしても余り有る悪魔の部位が、それこそ山のように持ち込まれる。連日連夜、領民総出である。領主も私兵を放ち回収に明け暮れていると聞くし、数日もすれば加工屋みずから出張して、鮮度のいい内に商品を作り上げていくだろう。  全ての幸福をもたらしたハルを女神のように持ち上げているオンドロード領主は口に付いたソースをぬぐうと、行き先を知りたそうな顔をした。彼は一夜にして厳格な領主の顔を脱ぎ捨て、演劇や物語に精通した、勇者と英雄譚好きの顔を出していた。  ハルが一人で成したことではないと言うのに。  それは卑怯なサリバンが、ハルを手に入れるために「悪魔が尻尾を巻いて逃げたのは、この子のおかげだ」と吹聴したせいでもあったし、領主家でのやりとりのせいでもあった。モリトの活躍は全てハルの手柄になった。  いつまでも憧憬がなくならなかったのは純粋な心故か、救いを求める故かは知らないが、英雄の姿をハルに見るのはいただけない。  少しだけつまらない思いで、モリトはオンドロード領主を見る。尖った唇の中に小さく切った肉が差し出される。見上げると、ハルがモリトをじっと見つめながら差し出している。餌を投げつけられた鯉のようにパクリとかじりつくと「仲がよろしいことで」オンドロード領主は微笑んだ。悪い人では無いとわかっているが、言葉が続かない相手だ。  たくさん時間のかかった事情聴取を終え、食事も取れなかったハルを気遣うという名目で招かれた晩餐は、根掘り葉掘り武勇を語らせるための場だったらしい。  絞りたての果実酒で喉を潤すハルは、一見なんでもなさそうだが疲れている。でも、そう言ってもハルはけして認めないから、モリトは「眠いよ」と言ってハルの服を掴む。 「すみません、もう寝る時間なので失礼します」 「そうか、もっと話を聞きたかったがしかたない。子供はよく眠った方がいい。部屋は用意してありますので」 「ありがとうございます」  抱き上げられ、いつも感じるのは、ハルの感触は薄く強いということだ。硬い骨と筋肉の感触にそれを覆う、うっすらとした皮膚の柔らかさ。年齢に見合わない怪力を持つ獣はモリトにとって強い味方だ。 (ハルが、もっと笑うようになるといいな)  次に目指す場所は何があるだろうか。  小さな木の芽と孤独な獣を、暖かく迎えてくれる場所であればいいと思う。  それに、ルフュラも探さなければならない。  モリトのカンは、やはり待っていただけではダメだと告げている。探し出したとき、とてもいいことが待っているだろう、とも告げているが。  カルフ銀行マンと共にパイロン銀行に戻ったハルを迎えたのは、ずらっと横一列に並んだ従業員だった。この時点でモリトはハルの後ろに隠れ、細かく震えだした。全員目がハイエナになっている。  銀行に寄ったのは特注された鍵を受け取るためだ。モーゼのように切り開かれた道を強制的に歩けばピッタリそろった声が「いらっしゃいませ」と言う。絶対に銀行にとって特となる事をしなければ家に帰れなくなりそうな、そんな圧力を感じた。  被害妄想じみた攻撃を受けた二人はVIPルームに通され、紅茶とお菓子の山を出された。三分も待たされないうちにカルフ銀行マンと、上司とおぼしき男性が入って来る。白髪交じりの髪を丁寧になで付けているが、何となくこびるような印象だ。 「今回査定をしたバッタンと申します」  丁寧に頭を下げた上司は早くも揉み手を始めた。この時点でモリトはお菓子に意識を全力投球し、ハルと上司の精神的な距離は離れた。引きつったカルフ銀行マンだけが状況を正しく認識しているだろう。  ハルは、絶対目が合わないように、うつむいたまま上司の流れるような美辞麗句を聞き流した。進められた紅茶は一度目より味も香りも上等なものだろう。クッキーに手を伸ばしてかじりつくとサクリと割れ、噛む前に溶けて消えた。たっぷりとバターを使用しているためか濃厚な味わいだ。  人の話を物を食べながら聞くという不作法をしているのにもかかわらず、上司の言葉は止まらなかった。むしろ、それこそが狙いだったのかもしれない。 「それはある地方の特産でしてね、生産の都合からなかなか出回らないんですよ。そのお茶もかなり良い出来でして。現在経営も軌道に乗っていて、王都に拠点を出そうか考えているそうです」  お茶もお菓子も融資先からもたらされた試供品と売り込みらしい。とたんに味がわからなくなる。  ハルは「はい」と「ええ、そうですか」の二つで会話を成り立たせることに苦痛を感じ始めた。上司の術中に填ったならば恐ろしい攻撃力と言わざるを得ない。  すると、会話の切れ目がやって来て、カルフ銀行マンが上等な箱に詰められた宝石を差し出した。手の半分くらいしかない黒い箱から現れたのは、細い鎖で作られたアンクレットだ。銀色の鎖に碧い宝石がはめ込まれている。銀行の鍵だ。契約が上等になればなるほど宝石の色が青くなるというのは本当だったらしい。  まるで、空を詰め込んだようなスカイブルーが、光を反射している。  鎖を引っ張ってみるとかなり長いが試しにつけてみると、するりと長さを変えた。装着者の体型に合わせて変幻自在の魔術が施されているという。これだけで家が一軒建つだろう。  礼を言って受け取ると、銀行マン達はほっとしたように息をついた。  気に入らないと言って作り替える客が多いらしい。さすが貴族だ、と言えればいいが、相手にする方はたまったものじゃないだろう。もたらされる利益が大きいからこそ我慢できるのだろうが。  ハルの用事は全て終わったが、銀行側の用事は終わっていないらしい。  お菓子の元締めからの融資もそうだが、今度は家や住居を整えないかという事と、手紙が銀行にどっさり来ているらしい。ハルの住所が不定であることが原因で、家令の代わりに使われた銀行は苦笑を隠せない。 「でも、定住の予定はないんです。晩餐も、決闘も全部断ります。そう言っていたと今後は断ってください。手紙は受け取りませんと」  積み上げられた招待状は全て蝋で封がしてある。記された紋章は貴族からの物だ。ハルは文字は読めるが教養はない。貴族に対する手紙の書き方など知らないのだ。後で代筆屋を探さなければならない。  悪魔の一軍が侵略した土地を逃げ去った事は国中に知れ渡っている。オンドロード領主が、領内の悪魔がいなくなったことを積極的にアピールするため、当日から動き出していた。  大衆紙も高級紙も一面トップに載せ、その話題で持ちきりだ。服屋に行って鉄剣を隠すための布袋と、新しい服を新調しなければならないだろう。モリトもハルも本性が違うためこれ以上成長しないため変えてこなかったが、そろそろくたびれているし。  受け取ってしまった手紙はしかたない。全てを引き取ったハルは用事があると立ち上がった。  慌てた上司とは裏腹にカルフが微笑みながら右手を差し出した。  モリトは小さな手で掴む。 「オンドロードを助けてくださってありがとうございました。……モリト。あの時の答えだけど」  二人だけでした秘密の会話を思い出した。 「私も考えてみた。答えは難しいな。それがいつか手を離さなければならない相手ならなおさらだ。だから男にしかできない事をするんだ」 「それってなに?」 「女の人を守る事」  モリトはニコニコしていた表情を引っ込めて、真剣な面持ちになった。 「全部を守るなんてできない。でも、一番大切なときに女の人を守れるのは男しかいない。モリトはわかるな?」 「カルフはそれをしに、家に帰ったんだね」 「そう、だな。終わってみれば、故郷のためとか大きな事を言って、けっきょくはそうだった」 「なら、ボクもがんばる。きっとできるように、見逃さないように」  それを見ているとハルは不思議な気分になった。モリトの身長が急に高くなったかのように、大きく見える。 「チャンスは多くないだろう。見逃すな。そうすればきっと守れる」 「ボク、できるよ!」  よし、いい子だと微笑んだカルフは手を離した。 「ハルさん、モリト。君達の終着点がどこかはわからないが、困ったことがあったら是非、訪ねて来てください」 「ありがとう」 「ございます!」  差し出された手を握ると、逆の手が激励するように二度叩く。ハルは強く溢れる力を感じ、胸が張るような奇妙な感覚になった。カルフ銀行マンはすぐに手を離し、モリトの小さな手を握り、離す。  二人が人の波に消えると、んーと伸びをしたカルフは眩しそうに目を細めた。 「子供、ほしいなぁ」  聞き耳を立てた女性が瞬間的に頬を赤らめ振り返り、敵を発見し睨み合う。  まずは彼女つくらないと、と考えていた銀行マンを手に入れるために、嵐のような女の戦いが水面下で勃発するのは、近い将来である。 -------- 一章(完)