誰も答えを知らないからだ

 侵攻軍はおおよそ三百。  奪われた土地は三方向を険しい山脈で囲われ、奇襲をかけることのできない土地となっている。悪魔は元あった村や町を潰して山を掘り、鉄を採掘し、畑を耕し生活を始めているとの報告もあった。悪魔の町ができあがっている。  そこはどのような魔窟に変貌したのだろうか。  黒い波を陸で産む魔境から、今日も悪魔が流れ出る。 「キリがねぇよ」  定めた防衛ラインに集まったのは総勢二百名ほど。後は後方に百、避難誘導に残りが行っている。  ソルートは配置につきながら気付いた。  森の中から現れた兵達を率いるのは巨大な悪魔。緑色の皮膚を持ち、額から頭頂部を覆うように角が伸びている。巨大なハルバードを持つ姿は物語の魔神のようだ。鉄の鎧を着込み、胸には悪魔の紋章が彫り込まれている。  格上の敵の出現に、にわかに浮き足立つ周囲を諫めながら、付与魔術を施すよう命令する。  気になるのはハルバードの悪魔もそうだが、連れている兵に違和感がある。 「小さい……? いや」  目を眇め気がついた。  後方に五体のベヒモスが控えている。昨日より小さい。が、二メートルは超えているだろう。つまり、あの巨人は相当でかいと言うことになる。  エディヴァルに出現する悪魔は恐れ知らず。  たった一匹でやってくる彼らは勇猛果敢だ。敵にして戦ってきたからわかる。恐ろしく凶暴で知性無く、あればとてつもなくやっかいな猛者達。  何人の仲間が奢られたか数え切れない。 「ソルート、震えてんぞ」 「武者振いです。ラセットも足が落ち着きないですよ」 「酒飲みすぎて便所行きてぇ」 「最悪です!」  前衛三人、後衛二人のチームを組んだ主要防衛を担うメンバーにはラセットが入っている。 「しかし、昨日とは違う親玉だな。見た事もねぇ」 「新手でしょうか。昨日の者とずいぶん違う……足運びがまるで」  戦士だ。 「二足歩行の悪魔は搦め手だって決まってんだろ。勘弁してくれよ……」 「あちらも本気になったと言う事でしょうか」 「わからねぇが、真ん中の奴ら押さえねぇと街どころか城まであっという間だぞ。見ろよ、あのでけぇハルバード」 「……止まりましたね」  将とおぼしき巨大な悪魔が数歩前に出る。遠目で見ても、その大きさは群を抜いている。 「我が名はアエー!」  悪魔は続ける。 「第百二十三代目魔王シティパティ様の近衛一の武勇を持つ!」  大気が振動するような大声だ。怯んだ者達が慌てて獲物に手をかける。  反対に進み出たのは、軍を率いるサリバンだ。険しい顔をしながらも困惑は隠せない様子で叫ぶ。 「俺の名はサリバン・ランスロット! 何用か!」 「そなたが将か。短命な命ながら武勇は聞き及んでいる。そなたを見込み、話がしたい」 「悪魔が我々と取引がしたい、と言う事かな? だったらノーだ。なぜなら悪魔と取引して心臓を取られてはかなわんからな!」 「尤もな話だが、これは取引ではない」  ざわめきが波のように広がった。 「魔軍はいずれ世界を征服する。しかし、我らは強者を好む。我らとそなたらならば世界の覇権も予定より早く手に入れられると思わぬか?」 「ふむ、つまりこの国手を組むと言う事か? 一考の余地はあるな」 「サリバン! あなたという方は何をっ!」 「ちょっと黙っててくれないか、ソルート。なんだったらラセット! 口をふさいでくれ!」 「もがっ!」 「へいへい、暴れんなってエクソシストさん」 「ぐぐぐ……ぐもももぉー!」 「で? 条件は何だ」  サリバンは腕を組み続きを促す。 「そうだな、国一つくらいは残しても良いだろう。しかし悪魔の国の一つと言うことになるだろうな。不服ならば我らが魔王に申し立てるが良い。あの方は寛大だ」 「そうか、ならばそちらに話しを持って行こう。しかし、要求はそれだけじゃないだろう」 「その通り。我々は昨日ベヒモスを殺した子供がほしいのだ。詮索はするな。それを渡せば陛下に口利きをしてもよい。約束しよう」 「つまり独断、と? なぜ欲しがる」 「わかっているだろう? ベヒモスを倒す武勇。戦ってみたいのだ! 力こそ誉れである。それが悪魔というものだろう」 「うーむ、パイロン王はお考えになるだろうな、その話」  サリバンは腕組みをとき、後ろ頭を掻く。 「ついでに我が国だけ救われるとなれば、佞臣共はこぞって賛成するだろう」 「では、そのように――」 「しかし残念だ。誠に、残念だ」  すらりと抜き放った剣が太陽を反射して輝く。 「その話しは陛下まで行かないだろう」 「なぜだ?」 「私がここで止めるからだ」 「悪い話しではないが、ふむ。なぜ乗らぬのか」 「お前達は強い。いずれ世界の住人は悪魔にとって変わるかもしれない。しかし、俺は原種の血を引いていてな、いろいろな逸話を祖母から聞いた。長い話しで良く覚えてないが、これだけは耳蛸だ。古来より「悪魔とは、残酷で残虐で虐殺好きで約束などと口に出すときは真っ赤な嘘をついている」そうだ。――全軍、用意!!」 「なるほど、しばらく戦場に出ていないツケが回ったか」  カカカ! と笑ったアエーはハルバード抜き放った。風が鳴り、かすった地面に亀裂が入る。 「総軍蹂躙せよ! 我が武勇、冥土の土産に持って逝け!」 「馬鹿を言うんじゃねぇ! かかれ! 一匹人とも後ろに回すな!!」  もがいていたソルートは舌打ちして手を掲げた。 「まったく! 最初から話しを聞かなければいいものを」 「おいおいソルート! 聞いてみなければわからん事も世界にはいっぱいあるぞ。――右のベヒモスを頼む! 中央を押さえエクソシストは遠距離魔術! アエーは俺が相手取る。援護を頼む!」 「俺と!」 「僕が後ろにつきます――ウェントゥス!」  手の平に彫り込まれた魔術文字から緑色の光がはじけた。風がうねり見えない刃となってアエーの籠手に直撃する。 「堅い、怯みませんか」 「その程度、そよ風とも思わぬわ!!」  魔術文字はエディヴァルの魔術師が魔術を使うときの言語で、一般教養の文字とは違う特殊文字だ。主に教会側が指導して教えており、かなり単語が多い。特殊な発音も多く、口に出来なければ発動しない場合がある。  ではなぜ使っているか。  むしろ使わざるをえない。魔術文字でしか魔術は発現しないからだ。原因は過去の戦争で文献もろとも根絶やしにされ、未だ謎に包まれている。  また、使いすぎると体力を著しく消耗し最悪、死に至る。 「ならこっち見ろデカぶつが!」  サリバンの長剣がハルバードの先をたたき上げる。三日月形の切っ先が大きく空を描く――が。 「くっ!」  軽い。  サリバンがたたき上げると同時に振り上げたのだ。  舌打ちし反転する。頬をかすめたハルバードが地面すれすれで止り、切り替えされる。 「旦那、ちょっと待てって!」  横から飛び出したラセットが振るった曲刀が、鎧の隙間を縫ってアエーの首にはしる。意識が逸れた瞬間、身をひねり一撃を避けたサリバンは「すまん!」体制を立て直した。  大ぶりの曲刀は振り上げられた片手によって弾かれる。 「かってぇなぁ! おーい! 周囲を頼まぁ! 後ろからばっさりはごめんだぞ!」 「ったぁく! お前はいつもそうだよ。任せとけぇ!」  仲間のハンターがぼやきながらも周囲の悪魔に肉薄する。 「お前の友人は、いつも思うが良い奴だな」 「おう! 同じ村の出なんだ。こないだ溝に填ってたの見つけて持ってきた!」 「どう言う事ですかそれ!?」  元はハンターじゃなかったらしいのだが、ラセットに助けられてオンドロードという激戦区に放り込まれたらしい。ヤクザもびっくりな悪魔の所行である。彼はいつでも帰れるらしいが、不幸な事が重なって故郷には顔を出しずらいらしい。 「吾輩と戦っているときに談笑とは余裕だな! ――ブロンテー!」  ハルバードの先に雷撃が集まる。小球となった金の光が螺旋状うねり、膨れ、はじけた。直線を描いたそれは深く地面を抉り火花を散らす。それは盾でも皮でもはじけない死の一撃だ。高電圧の雷撃を受ければ内部損傷、即死もあり得る。  避けるしかない一撃に素早く後退したサリバンは舌打ちする。肉薄し、追撃するべきだった。  アエーの周囲には雷撃の小球が三つ並び、複雑に跳ね始めた。 「反則かよっ。なんだありゃぁ? うおおっ」 「これはランダムに跳ねるぞ。さて、どこまで避けられるか、御手並拝見といこうではないか!」 「っく! ララツラ!」  間一髪で防いだ小球が、ツララを割りながら跳ね返った。生き物のように左右上下とせわしない。そして触れた地面はすべからく黒焦げだ。  そして、 「ベヒモス! 迎撃!」  跳ね回る小球と共に、後方に控えていた五体のベヒモスがゆっくりと歩き出した。  のそり、と長い首がほんの少し下がり、長い牙の奥で金の光が集束する。 「僕の後ろに下がってください! エクソシストは、盾を! ――ロクメ!」  緑色の円が少しの厚さをもって現れる。ソルートが引き延ばすように手を開いたぶんだけ伸び、直径が十メートルを超えた刹那――五つの雷撃が盾にぶち当たる。  雷撃が盾を包み火花を散らし、衝撃がソルートの体を吹き飛ばそうと圧力をかける。誰かが背中を押さえ、それを他の誰かが押さえる。しかし力が強く、足がずるずると押されてしまう。 「甘い!」  小球が三つ、続けて叩き付けられる。ごっそりと魔力が削られる。だが、止めるわけにはいかない。  このままでは耐えきれない。そう思った瞬間、身をかがめ盾を傾けた。 「っくぁぁぁぁああ!」  びりびりと肩にかかる圧力に潰されそうだ。しつこいほど盾に張り付いていた雷撃はゆっくりと表面を削りながら軌道をそらし、空中で霧散する。  膝をついたソルートは体内の魔力が枯渇寸前までいっていることに気付く。両手に刻んだ陣も熱で爛れてしまった。 「ふむ、軌道をずらしたか。頭が良いな。だが、もう立てまい」  悪魔は獲物を振り回し、腰を落とす。ハルバードの刃は高密度の電流で覆われている。 「短命種にしてはよくやった。しかし、ここまでだ!」  雷撃は避けられない。肉体は必ず電気を通す。短命種が悪魔に負けるもっとも大きな要因だ。 「ララツラ!」 「だめだ、ソルート!」  絞り出した魔力が溶けかけた氷を顕現する。正方形の壁は先はぎざぎざに尖りアエーに覆い被さった。 「闘志を燃やす。それは正しく武人!」  一線。  無慈悲なまでの威力で叩き付けられたそれはソルートを砕き骨も残さず炭化させる威力があった。  しかし、 「ラセット! 彼を後方へ!」 「わぁってるよ旦那!」  触れる直前、剣の腹で柄を受け止めたサリバンは、削るように前進し鉄鋼の隙間に刃先を滑らせる。 「ほう!」 「お前の相手は、この俺だ!!」 「カカカ! 傷を負うのは何千年ぶりか。やはり戦場では何が起こるかわからんものだ!」 「たわけぇ!!」  雷を纏った刃先に触れないよう細心の注意を払わなければならない状況で、サリバンの追撃は気迫があった。食いしばった奥歯がこすれ、踏ん張った足がしびれる。打ち合うだけで手がしびれるなど何年ぶりか。  強敵は余裕を持って微笑み、しかし自分は木刀を持ったばかりの子供のようにかすり傷しか与えられない。 「カカカ! よく踏ん張る、踏ん張るか! さすが強者よ、こうでなければ面白くない。しかし、吾輩だけに集中すれば他が疎かとなるぞ!」 「ベヒモスか!」  ゆっくりと進んでくる巨体――いや、一度目よりもかなり小さいのだが。しかし雷撃と長い尾と首の攻撃はやっかいで、次から次へと仲間がやられていく。 「ここは戦場! たった一人で全てを覆す事などできはしない! さぁ、呼ぶがいい! 吾輩に、強敵を差し出せ! その足下に貴様の亡骸を投げ込んでやろう」 「じゃあ、おっさんもそうならないよう気ぃつけなぁ!!」  アエーの死角から飛び出したハンターは曲刀を振りかざす。堅い音と共に合金製の鉄鋼にかすかな罅が入った。 「ラセットっ」 「ソルート置いてきたぞ!」 「カカカ! 恐れぬ、怯えぬ兵か!」 「ハンターだよ馬鹿野郎! それに、怯えねぇのは俺だけじゃねぇぞ!」  凄まじい殺気を感じ、アエーはかがみ込んだ。受けず、初めて避けた斬撃の主は灰色の毛並みをなびかせ、三日月のように口をつり上げ着地した。  灰色猫の獣人は長い爪を振り回し、下品に笑う。 「テメェら!! 上等な獲物が出たぞ!」  ぎょっとしたのはハンター達。  彼らが確認したのは群れを成し、襲いかかるパイロン銀行警備員の制服を着た一団だった。 「何だ何だ!? こんな時まで取り立てに来るのか!?」 「誰だよ死ねよ!!」 「ちっくしょう! 逃げられたと思ったのによぉ!」 「そこのお前ェ、顔覚えたぞ! 悪魔の次は覚悟しなぁ!」 「ギャアアアアア!!」  舌なめずりしたドールがにたりと微笑んだ。  その小さな体から見合わない強烈な斬撃がアエーの右腕を狙う。便乗するように逆からラセットが、正面からはサリバンが躍りかかる。 「その意気込みや良し!」  しかし、鎧を貫通すること無く、触れた刃も爪もはじき飛ばされた。三つの小球が出現し、ハルバードが風を切る。 「強者共よ、準備運動は仕舞いだ! 戦争を始めようぞ!!」  カカカ、と大笑が響く。